「私にとっての家づくり」

家を建てようとすると、既に家作りを終えた諸先輩方からはアドバイスを頂くことが多々あります。
いざ自分で建て終えてみると、確かにその気持ちは良く解りました。
口を出したくなるのも自慢したくなるのも人情です。
しかし折角頂いた機会なので、ここではコンセントの位置が云々といった低次元な話をするつもりはありません。

この度僕が書かせて頂く文章は、これから家作りに取り組もうとされていらっしゃる方々に向けた愛のある闘魂注入です。
参考になるかどうかは分かませんが、家作りを終えた『現時点での個人的な総括』の意味も含め寄稿させて頂こうと思います。
拙い文章ですが、しばらくお付き合い頂ければ幸いです。

このお話を頂いてから数ヶ月間、僕は毎日ぼんやりと(でも真剣に)この問いに対する答えを考えておりました。
あまりにたくさんの答えが浮かんだのですが、その全てが正解であり不正解である様な気が今でもしています。
そして最終的に辿り着いた回答は以下の2つ。

『家作りは力試し』で『出来上がった家はその結果』という事です。

家作りには本当に様々な要素が詰まっています。
それを大変だと思う方が多い様ですが、楽しくて刺激的な経験だと感じる方もいらっしゃるはずです。
そして後者の感覚を持ち合わせていなければ、残念ながら家作りは上手くいかないと思います。

どちらが正解でどちらが不正解とは言えませんが、間違い無いのは家作りはクリエイティブな行為の極みだと言う事です。
作り方次第では、その家の存在そのものがアートへ昇華する可能性を秘めています。

そのような人生の一大事に、大変だ大変だと施主の口から不平不満ばかり出ている様ではきっと何も生まれないでしょう。
施主の生き様が投影されるのが、まさしく家造りという行為なのです。

家を建てるという事は、知力、体力、判断力、想像力、決断力、そして経済力も含め、全ての自分(施主)の力を出し切って得られる結果です。
全てのフェーズに於いて、施主は様々な決断を迫られ、そして試されます。
言い方を変えればそれは試練なのかもしれません。

日常の生活も試練の連続です。
しかしその中でも、限られた期間でそれが『目に見えるカタチ』となって出来上がるところが家作りの面白いところだと感じます。
そしてそれが何よりの醍醐味なのです。

銀行からどれだけの融資を引き出せるか、建築家とどこまでイメージを共有出来るか、現場監督とどれだけ信頼関係を築けるか。
そこには今まで培ってきた経験や、築き上げてきた社会的な実績が必要不可欠です。
それらを総動員し、持てる力を全て出し切り、ひとつひとつの結果が積み上がり、最終的に完成したものが家だと痛感しています。

プラスの面では今までの人生の努力が、マイナスの面では人間として未熟さが、それらのすべてが完成した家に集約され表現されています。
それを眺めながら悦に入るのも、家作りの真っ当な楽しみ方のひとつでしょう。
しかし未熟な部分から目を反らさず、真摯に反省する事も必要だと感じます。

僕の人生がもう終わりに近いのであれば、きっと家作りという行為もほぼ納得出来る形で収束しているはずです。
勿論、僕は現時点での結果に、概ね満足はしています。
しかしまだまだ未熟な人生なので、全ての結果に満足できるはずが無いのです。

今の家に住み、今の家を育て、今の家を成熟させて行く。
それは今後の大きな楽しみです。
そしてそうするのが施主の役目です。

しかしそれと同時に前を向き、進化した自分がその時点での実力を今度はどの様にカタチにするのだろうと今から楽しみなのも事実です。
そしてそのプランを実現可能なプロジェクトにするべく、また新たな努力を積み重ね続けるのが人生だと考えます。

家には施主の人生が映し出されます。
そして家は新しく設定された人生のベースラインとなります。

周囲の人々はそれを客観的に認知し、そして評価をします。
そして周囲のその判断が、新しい人間関係や新しい仕事に繋がっていくのを今僕は肌で感じています。

家作りが簡単だとは決して申しません。
でも真っ正面から取り組むべき重要なイベントだと言う事は間違いありません。

ひとりでも多くの方が、この素晴らしい経験をされる事を切に願っています。

心配しないで下さい。
家作りほど楽しい事は、他には無いのですから。